「聖なる者へと招き入れられる」  08.08.17
                      ント一 1:1〜17

 聖書は、教会に連なる人々のことを、「神の教会の人々」、
「キリストによって聖なる者とされた人々」、「召されて聖なる者と
された人々」と言い表します。それは、コリント教会に連なる人々の
ことだけではありません。私たちもそう言い表される存在です。
 「自分が何者であるか」というのは大きな問いですが、聖書は
「あなたは聖なる者とされた」と、はっきりと告げています。
 「聖なる者」というのは、聖人のような偉大な人物という意味では
ありません。「神に属する者」ということであり、「神のものとされて
いる」ということです。神ならぬこの世のものに属し支配されて
いるのではなく、真の神に属し神に治めていただいているのです。
 この世の闇ではなく、天の栄光の光の下に置かれているのです。
 罪ゆえの滅びでなく、神の永遠の愛の下に置かれているのです。
 それが、主イエス・キリストの体の一部とされ、教会の枝とされて
いる私たちの姿です。
 しかしながら、自分を誠実に見つめる時には、罪多く、罪深い姿に
気づかされます。ですから、罪ゆえの裁きと滅びこそ、自分に
ふさわしく思えます。しかし、主イエスは、ご自分を信じて教会に
連なるものの罪を、十字架によってすべて取り除いてくださいました。
 私たちは、自分の力によってではなく、この主の十字架によって
「神のもの」としていただくのです。この十字架の力をみくびっては
なりません。私たちの罪よりも、主の十字架の赦しの力の方がずっと
強いのです。
 コリント教会は、信仰的にも、道徳的にも問題を抱えた教会でした。
 しかし聖書は、そこも神の教会であり、そこにいるのは聖なる者と
された人々だと見なしています。
 更に、問題を抱えていた教会のことを神に感謝します(4節)。
 それは、人の愚かさよりも、教会を治め導く神さまの力の方が
強いことを信じているからです。
 
愚かさを嘆いて立ち止まるのでなく、導いてくださる神に深く
信頼して、立ち、進むのです。